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INTERVIEW インタビュー

デジタルコンテンツの未来
〜温故知新〜

鈴木 松根
【第50回/2024年1月号】
鈴木 松根(CGアーティスト)

CGと縁の深い方々にお話をうかがい、デジタルコンテンツの未来を見通していく記事をお届けする本連載。今回はアーティストとしてハリウッドで35年以上のキャリアを持つ鈴木松根氏に登場していただいた。もともとはアナログのペインターで特殊効果を担当していた鈴木氏だが、ハリウッドでCGを習得し部門を超えてさまざまな技術を獲得し、今やディズニーやWETAで引っ張りだこの存在。キャリアアップのヒントやAIへの向き合い方、さらに『ベイマックス』を観た日本人の誰もが気になるあのデザインまで、インサイドなお話満載でお届けする。

【聞き手:野口光一(東映アニメーション)】
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’80年代に活気づくハリウッドSF映画でキャリアをスタート

東映アニメーション/野口光一(以下、野口):まずは鈴木さんのキャリアの前史から伺えればと思います。日本の大学を出て就職して、そこからロサンゼルスのアート・センター・カレッジ・オブ・デザインに入り直したそうですね。

鈴木 松根(以下、鈴木):はい。六本木にあるAXISというデザイン誌を作る会社に入り、そこで雑誌編集や展覧会の仕事をしていました。ですが、私の姉(※)がアートセンターを卒業して、そのままロサンゼルスで仕事をしていたので遊びに行ったところ、アートセンターへの熱に火がついちゃって(笑)。それで仕事を辞めてアートセンターに留学をしました。専攻は工業デザイン。当時はジョルジェット・ジウジアーロというイタリアのデザイナーの全盛期で、自動車や望遠鏡、カメラなど、格好良いものを次から次に生み出していましたので、それに憧れて工業デザイナーを目指していました。

鈴木 松根

(※)鈴木D.美智子(Michiko Suzuki Durinski)
プロデューサー。ビジュアル・エフェクツ・プロデューサー。Hollywood Concept Design プロデューサー、代表。シド・ミードのプロデューサー/代理人。トーヨーリンクスに在籍していた。

野口:そこから映画の道を志したのはどんな理由からでしょうか?

鈴木:入学して最初の頃は工業デザイン一本槍でした。というのも、アートセンターはGM、フォード、クライスラー、GEが出資している大学ですので、そうした会社にデザイナーとして入るのがエリートコースの不文律だったんです。そこへ突然現れたのが、『スターウォーズ』(1977年)でした。その後、『スタートレック』も新作が出たりして、一気に「デザインといえばSF映画だよね」という気持ちが芽生えました。ちょうどその頃、姉がルーカスフィルムで日本のリプレゼント(※ 通訳など日本からのメディア対応)をする仕事をしていたこともあり、ルーカスフィルムの人たちの仕事を見せてもらうと、やっぱり断然面白そうなんですよ。そこからジリジリと自分のポートフォリオがSFっぽいものになっていきました。学校の先生たちはお堅いデザイン出身だから、あんまりいい顔はしなかったです(笑)。

野口:ルーカスフィルムは『スターウォーズ』最初の3部作が終わったぐらいの頃ですか?

鈴木:そうですね。ちょうど終わって『スタートレック5』に入る準備の頃にインターンで行ったんです。兵器のデザインとかを手伝いました。当時、I.L.Mには3人のアートディレクターの巨匠がいました。ジョー・ジョンストンと、フィリップ・ノーウッド、ニロ・ロディス=ジャメーロ。この3人でデザインを煮詰めて行くんです。この映画のアートディレクターを務めたニロの家に泊めてもらって大変勉強をさせていただきました。

野口:アートセンターを卒業後、VFXスタジオのイントロビジョン・インターナショナルに就職されましたが、どんなお仕事を?

鈴木 松根

鈴木:映画づくりに携わりたいと思っていたものの、卒業の時点では何一つ作り方は分からなかったんですが、絵を描くスキルはありました。幸いなことに映画作りにおいては、絵が描けることで貢献できる仕事がたくさんあるんです。その一つがコンセプト・ドローイングでした。台本に対する挿絵のようなものですね。これの役割は2種類あって、一つは出資元に対して「この映画はこんなところが面白いんですよ」と説得するための材料。もう一つは制作中にスタッフの考えがまとまらない時に「こんな感じの場面です」と、アイディアを共有するためのドローイング。僕はどちらも描いていました。イントロビジョンという会社はA級映画もB級映画も作る、ハリウッドでは中堅のスタジオで、それが好都合だったんです。というのも、ユニオン(職能組合)に加盟していないから、コンセプト・ドローイングを描いている人間が、セットドレッサーやろうがセットを作ろうが、図面を引こうがお構いなしでした。つまり、職種をまたいで実地で勉強をすることができたんです。

野口:なるほど。日本と違って他所の職種の仕事をするとユニオンからは越境行為と見なされるんですね。そこではスタジオの撮影現場にも入られたんですか?

鈴木:はい。撮ったミニチュアのマット合成までやって、それでデイリー見て色修正したり……。ストップモーションアニメーションもやりました。普通の映画会社に入っていたら、コメディ作品でキッチンのデザインをやっていたかもしれない。SF映画に憧れて入った私にとっては、日々の仕事がスペシャルエフェクトや宇宙船、未来都市と、楽しいものばかりでした。加えて言うと、会社はビザの発給にも力を尽くしてくれました。普通の映画は人を集めて撮ったらそれで解散してしまうので、外国人が来てもビザや書類の面倒なんて見てくれないんです。でも特別な知識が必要なスペシャルエフェクトはイントロビジョンのような専門の会社に外注するから、我々は現場に常駐することになるわけです。そうするとビザの面倒も見てくれるというわけです。最初にここに入って正解でした。私には師匠が3人いるのですが、その最初のビル・メサに出会ったのもここでした。絵を描くだけしかできない私を気に入って、徹底的に映画のアートを鍛えてくれました。未だに尋ねたりすることもあります。

ハリウッドでCGが台頭するなかCG技術を会得し、ディズニーにヘッドハント

野口:この頃のハリウッドにおけるCGの存在感はどの程度だったのでしょうか?

鈴木:私が就職をしたのが’90年で、そこから’92年ぐらいまでは、ちょっと出てきた感じはあったけれども、フィニッシュとしては役に立つものではありませんでした。宇宙船のカットなどを作る際に、「このカメラアングルで撮るにはどのぐらいの大きさのセットが必要で、パースを変えた時にどこからどこまでが必要か」といったものを弾き出すブロックを組み上げるプログラムはありましたが、CPUのスピードが遅かったし、メモリも高かったし、解像度もイマイチで現場では使い物にならないとみんな思っていたんです。特に昔ながらの大御所は「使い物になるのは20年先だな」とか言ってて。やっぱりアナログだからみんな「俺の技術が」とか「俺にしか撮れないライティングが」と、手工芸的な技術を誇っていたんです。私も当時はそのとおりだと思っていました。でも 『ジュラシックパーク』が’93年に出たときに、スタジオ中がザワついたわけです。そこから’94年ぐらいまでの間にCPUのスピードはグッと上がって、メモリの値段がグッと下がって、フィルムスキャンの解像力も上がっていきました。CGを否定していた人たちも、座りが悪くなってきちゃって、昔からのマイスターみたいなカメラマンとか、照明さんとかもだんだん仕事がなくなってきて。当時はラスベガスで建築ブームだったので、みんな不動産業界に行っちゃいました。その頃の自分はアートディレクターをやらせてもらっていたんですけど、そうなるとバジェットとか計画とか全部見えるわけです。するとスタジオが干上がっていくのも目に見えていたので、転職をすることにしました。

野口:それがドリームクエスト・イメージズですね。当時はとても有名なVFXスタジオでした。

鈴木 松根

鈴木:当時、エフェクトスタジオの4強といえば、Industrial Light & Magic(ILM)、Boss Films、apogee、そしてドリームクエスト。ここがよかったのは、アナログ部門とデジタル部門の両方を持っていたことでした。私は当時100%アナログですから、アナログの部署に入ってスケッチデザイン作業をやっていたんですけど、もイントロビジョンの経験からして、そろそろデジタルに足を突っ込まないとマズいなと思って、AutoCADをやり始めたんです。それで当時、インターネットスーパーハイウェイと呼ばれていた、今で言うインターネットでCADのデータを送って、部品をレーザーカッティングをするといったことを始めていきました。そこから、やっぱり3Dで自分のデザインしたものをさまざまな角度から見てみたいなと思って、自分でMacintosh Quadra 840AVとStrata 3Dを買って、ある程度自信がついたところで、プロップを作ってプレゼンを始めたり、プリントアウトしてモデルショップ(※ミニチュアなど造形を行う部署)に持っていって、レジンでキャスティングをしてステージに行ってセットアップする、といったことをしていきました。

野口:幅広く仕事をされていたんですね。

鈴木:映画製作元がユニオンの場合、制作に参加出来るのはユニオン会員のみに限定されるのですが、ドリームクエストは規模が大きかったので、常にユニオン/ノンユニオンの映像制作が複数混在で同時進行していました。また、基本的にVFX人員くくりのユニオンというのは存在しません。現在でもそれぞれの職種(アートディレクター、マットペインター等)ごとにユニオンに属します。ここでは常にユニオンとノンユニオンの人材が混在していました。この二つの理由によりスッキリと区別出来るものではなかったですね。そのため仕事の幅を広げられました。

野口:その後、鈴木さんはディズニースタジオとの専属契約を結びますが、ドリームクエスト社自体もディズニーに買収されましたよね。

鈴木:そうですね。それは私が転職して4ヶ月後のことでした。ちょうどH1Bビザ(専門技術者)が期限切れになりかけたときに、ドリームクエストの上層部に書類をお願いしたところ、上の方で話をつけたのか、ディズニーの方からオファーがあり、転職しました。私が特別スゴかったとは申しませんが、一応SF車両のデザインでは知っててくれる人が結構いたので、面接もなくすぐに契約書が送られてきました。

ディズニーでカメラワークの面白さに目覚める 日本との違いは?

野口:ディズニーに入って、最初はどんなお仕事をされたんですか?

鈴木:スケッチアーティストで、コピー用紙の上にマーカーで描く仕事でした。デジタルのデの字もやらせてもらえなかったです。やっぱりああいう大きなスタジオは縦割り社会で、絵を描く人、模型を作る人と、細かく部署が分かれていて、絵描きはずっと描き続けるという働き方で、これまでとのギャップを覚えました。ただ、中で気に入られると何でもさせてもらえるんです。最初は絵描きとして、描いたものを壁に並べてプレゼンをしていたのですが、次のCG模型を作る部署に持っていくのですが、ディズニーの優秀なモデラーと言えども、ちょっと痒いところに手が届かないんですよね。そこで独学で3DCGを作り始めて、プレゼンテーションときに画面上で360回転をすると、監督が喜んでくれて「お前はモデリングも許そう」ということになって、絵描きとモデリングの両方を始めたんです。ある意味で、昔のイントロビジョンに戻った感じですね。

野口:ユニオン的に問題はなかったんですか?

鈴木:先程VFXくくりのユニオンがないと申しましたが、逆に「The Animation Guild, IATSE Local 839」という枠組のなかに入れられて、これはアニメーションならば何やっても良いと言う規約でした(笑)。

野口:しかも監督が認めたとなると。鈴木さん自身では、アナログをやりつつデジタルを触っていくのに抵抗はありませんでしたか?

鈴木 松根

鈴木:それは大丈夫でしたね。自分としては、台本を読んだときに頭のなかに浮かんだ絵を表現したいのが一番で、それがやりたくて映画業界にいるわけです。当時、アナログの技術に誇りを持っているがゆえにCGに移れない人も大勢いましたけど、私の場合はCGも画材の一つですからそこは何でも良くて、すんなりとCGに入れました。モデリングで大体のコツを掴んでからは1年ぐらい周りの人に聞きまくって。それで自分が思い描いていた形ができると、こんなに面白いことはありませんでした。ちょうどAlias|WavefrontからMaya β zeroへの過渡期で、Aliasで作ったモデルをMayaにエクスポートして、そこでアニメーションをつけて、不具合があるとAliasにエクスポートして、自分でアニメーションを作っていました。やはりモデルは動く姿までカッコ良くなくてはならないですよね。

野口:モデラーとアニメーターの二刀流を続けられて、さらにそこからお仕事の幅を広げて行かれましたが、どんなきっかけで?

鈴木:しばらくは自分の思い描いていたように仕事をしていたのですが、『塔の上のラプンツェル』(2009年)を作っていた時に、やっぱりお客さんが見る全てのものを取り仕切れるのはカメラじゃないか、と思っちゃったんです。台本には「塔が二階建てになっていて、下に魔女がいてラプンツェルが上に現れる」としか書かれていないんです。そこで塔がどんな形状で設備があるかとデザインを考えるのが私の仕事なのですが、ラプンツェルが2階から下に降りてくるときに、S字階段作ったんです。そこでスクリーンディレクションという概念が必要になってきます。ディズニー映画は小さな子供も見ますから、混乱させないようにお客さんとの約束事を画面演出上のルールとする必要があります。ラプンツェルが左から右に移動してるときは必ず下に降りてくるし、右から左に移動してるときには必ず2階に登るというように。こういうお客さんとのルール作りに興味が湧いてきて、カメラデパートメント(部門)に移籍しました。ここでのカメラとはレイアウトと同義です。

野口:アニメーションとカメラは部門が違うんですね。

鈴木:そうです。アメリカではアニメーションデパートメントはキャラクターのアニメーション、エフェクトアニメーション、そしてテックアニメ(服のしわなどスクリプトで自動化してアニメを行う)を司ります。

野口:アニメーションはカメラが決まった中で動きを作るわけですか?

鈴木:ショット的には当然絵コンテ(ストーリーボード)から始まります。ディズニーのアニメーターは人物の仕草に興味がある人の方が断然多いです。ですが、ストーリーで語らなきゃいけない部分は絵コンテからアニメーターもわかってますから、こちらがカメラワークを作っているのと並行して、彼らなりのラフなショットアイデアを出してくれます。それで送ってきてもらったのをこちらで見て、「こっちの方が格好良いんじゃないか?」ってやりとりを編集室で監督としながら作っていく形です。ディズニーでは先にセリフ、音楽、が上がりますから、編集室でタイミングを合わせながらショット順も含めて総合的に監督が決めていきます。いろいろなショットを用意しておいて、監督と編集者がその場で決める事もとても多いです。編集者の比重はとても大きいです。

野口:日本ではカメラワークやレイアウトもアニメーターが決めます。

鈴木:初めてそれを聞いたとき、映像作りの概念の違いにビックリしたんですよ。

鈴木 松根

野口:これもう、『アルプスの少女ハイジ』(1974年)からの伝統ですね。それを踏襲したから、日本ではCGでも基本的にアニメーターがカメラワークやレイアウトを決めることになってきます。ハリウッドではDP(Director of Photography)が画面を司るわけですか。

鈴木:そうですね。これまでのキャリアのすべてを投入してできる仕事は何だろうと考えた時に、プリヴィズだと思ったんです。『ベイマックス』(2014年)という映画での経験をお話します。あるとき監督から「ベイマックスが空を飛ぶことになったから、何か面白い画面を出して」と無茶振りが来たんです(笑)。そこで街の中を飛んでいる絵をただ多枚数を描いたところで、全体像も尺感も分からないから実際の映像づくりに役立ちはしません。こういうときがプリヴィズの出番です。自分の中で思い浮かんだ映像に合わせて、簡単なモデルをデザインしてライティング、アニメーション、カメラワークを付ける。その後それぞれの仕上げはスペシャリストに任せるというわけです。

野口:それであのサンフランソウキョウを飛び回るシーンができたわけですね。日本公開のときにもよく宣伝で使われました。

鈴木:余談ですが、こだわったところとしては、あの街の中の日本語看板。アメリカやその他の国の外注スタジオさんに出すと、多分おかしなフォントで上がってくる確率が高いでしょう。ディズニー劇場公開映画制作スタジオは外注はしませんが、それでも日本以外の社内デザイナーの方々からはしっくりこないデザインが出てきます。それを全部弾いて(笑)。自分でもデザインしながら作って、貼っていくところまで行ないました。彼らには新宿と渋谷の街のニュアンスの違いとかってわかりづらいですからね。

野口:プリビズはカメラデパートメントに含まれるのですか?

鈴木:プリビズのデパートメントを別個にディズニーに作りましょうと言っていたんだけど、カメラの部署割りが強くて、とうとう作られなかったんです。だから、カメラデパートメントの中にプリビズデパートメントを作るという形でやらせてもらった形ですね。

『アバター』でWETAへ そこで知ったスゴさの秘密とは?

野口:そして次はニュージーランドのWETAデジタルに拠点を移されました。WETAはどんな環境ですか?

鈴木:周りに娯楽も少ないところです(笑)。東京での生まれ育ちだから、ちょっと田舎暮らしに憧れもあったんですけどね。食べ物も私的には残念な感じでした(笑)。

野口:移籍されたのはどんな理由からだったのでしょうか?

鈴木:今、『ベイマックス』(2014年)までお話をしましたが、WETAには2回行っていて、最初は『アバター』(2008年)のときでした。彗星の如く現れて『ロード・オブ・ザ・リング』(2001年)を作り上げたプロダクションですから、やっぱり頭の片隅でずっと気になっていて。そうしたなか、『アバター』の噂が聞こえてきました。その時点でディズニーにも10年くらい在籍していたのですが、何だかんだでディズニーでの制作ってゆったり余裕があるんですよ。それで少し甘いものばかりではなく、スパイシーなものも食べたくなって、自分がディズニーの外の世界でも通用するか試したくなったんです。それでディズニーの上層部のところに頭下げて、「これだけはどうしてもやりたいんだ」と言って、WETA行きました。

鈴木 松根

野口:行ってみていかがでしたか?

鈴木:やっていることは、そんなに変わりませんでしたね。案の定、WETAの仕事は辛口でしたが、同時に彼らのスゴさの秘密が分かりました。結局は、大量の血と汗でできていたんです(笑)。『アバター』の裏で細かい別の映画の仕事がバンバン割り振られて、「いついつまでに急ぎで!」ってこなしつつ、また『アバター』に戻るという。私も血と汗を流しました(笑)。それで『アバター』制作も後半に来ていたところで、グリーンカードの期限が来てしまいました。アメリカから外に出るときに留守にする申請を出すわけですが、この期限が2年間だったんです。ちょうどディズニーから「『ラプンツェル』を作るから帰ってこい」と言われて、またディズニーに入って、『モアナと伝説の海』(2016年)までいました。

野口:そして、WETAが『アバター2』を作るとなったときにまた入る。

鈴木:『アバター2』も長かったから『メイズランナー最期の迷宮』、『アリータ: バトル・エンジェル』、『モータル・エンジン』、『ジェミニマン』、『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』、『ムーラン』、『ジャングル・クルーズ』、『ゴジラVSコング』などいろいろ携わりました。最初に行ったときはコンセプトアートもデザインもやってたんですけど、2回目はMayaでのモデリングばかりでした。

野口:ここまで鈴木さんのお仕事を伺ってきた上で伺いたいのですが、日本のCGアーティストでリード以上の人ぐらいであれば、アメリカの映画会社でも通用すると思いますか?

鈴木:もちろんすると思いますよ。言葉だって仕事の8割は暗いところでカチャカチャやってるだけだから、難しい話もしないし、出てくる単語もコンピュータ用語ばっかりなんだから、言ってることもわかるし、大丈夫ですよ。

野口:先程、カメラの仕事や立場についてお話がありましたが、日本の違いは他に何か感じることはありましたか?

鈴木:これはどちらが良いとか悪いとかの話ではありませんが、『バットマン』にしろ『ゴジラ』にしろ、原作があるものはそこからいかに離れて違う見方を出すかに価値を見出しているように思えます。日本の作品の場合は原作のイメージから離れることは好まれませんよね。ファンの期待値みたいなのがあるでしょうから、アメリカみたいに無茶できないのかなと思いますが。

野口:残念な映画化作品が多々ありますからね……(笑)。そう言えば、鈴木さんは『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』 や『ONE PIECE FILM RED』など日本のアニメ映画にも携わられていますよね。

鈴木:はい。『ONE PIECE FILM RED』ではコンセプトデザインというクレジットで、巨人などのスケッチを描いたり、それで足りなれけば立ち上がる動作をCGで作ったり、その都度で必要な仕事をしていました。

野口:最後に今後の日本のCG/VFXはどうなっていくと思われますか?

鈴木:やっぱり、AIとどう付き合っていくかが重要ではないかと思います。「AIには新しい発想ができない」とか、「人間だけが出せるネタとがあるから大丈夫」とかよく言われていますが、これってアナログからデジタルに移るときにも、カメラマンとかマットペインターから聞いたんですよね。「人間の直感」とか、「最後は人間の風合い」だとか。で、そういう風に言っていた人はデジタルになって仕事なくなっちゃいました。現在のところ、新しい発想をAIが出すのはまだ途上だったりしますが、これまでの映画のダメなところも含めて全部学習していけば、何年後かにコロッと変わるかもしれない。特にシェーダーには注目しています。ネットで見ましたけど、「色調の温度を変えろ」命令するとリアルタイムで変えてくるんです。これを見た時に、ヤバいなと思って、自分でもAIを試してみました。「丸いボールを作るスクリプトを書いて」と命令して、それをコピーして貼り付けるとこれでもうシェーダーができるんです。ということはモデリングもそろそろだなと。

野口:今のところはアニメーションできないから、まだいいけども。

鈴木:でも、すでにキャプチャーからリグまではやってくれるじゃないすか。今は大丈夫だけど、あとどのくらい長く続くのかな……。

野口:この前、SIGGRAPHでも「AIについてどう思いますか?」という質問が出たんです。それに対してペイントアーティストさんが答えたのは、「それまでアナログで描いていたのが、Photoshopが出たことで仕事がなくなると思ったけど、なくならなかったでしょう。AIも一緒でちょっと楽になるだけです。でも使った方がいいよ」と。だからPhotoshopのときのショックと、今のAIは同じなんでしょう。

鈴木:でもAIは絵を描くじゃないですか。そこが問題だと思うんだけど。私はそこまでAIに精通してるわけじゃないから、やってみたことないんですけれども、英語の文献見ていると、結構自分が思ったものを描いたりするんですよね。これはロシアンルーレットみたいなものだなと。

野口:ポジティブに出るときは刺激になるツールに?

鈴木:そうですね。自分で思ってもないものを提示されたときには、刺激を受けるでしょうね。これからは技術的に積み上げて作るのではなく、AIをうまくなだめすかして使いこなす人たちが「良い画」を作るのかもしれない。それはビジュアルエフェクトを作る行為がエキサイティングだからやりたい、というタイプの人たちとは違う人かもしれないけど、VFXはそっちの方に流れていくのか。漠然とした恐怖感と同時に、どこか面白そうだなと感じています。

鈴木 松根 取材

鈴木 松根
すずき まつね:モデラー
東京都出身。1990年にアートセンター・カレッジ・オブ・デザイン卒業後、ハリウッドの中堅VFXスタジオ、イントロビジョン・インターナショナルに入社。1994年にドリーム・クエスト・イメージズに移籍。『ザ・ロック』、『クリムゾンタイド』ほかを手がけた後、1997年ウォルト・ディズニー・スタジオと契約。ディズニー在籍中に許可を得て2年程ニュージーランドのWeta Digitalに移籍、『アバター』の制作に参加。その後ディズニーに戻るも、再び『アバター2』制作のためにWeta Digitalと契約。
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Supported by Enhanced Endorphin
INTERVIEWER : 野口光一(東映アニメーション)
EDIT : 日詰明嘉
PHOTO : 弘田充
LOCATION : 東映アニメーション

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