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INTERVIEW インタビュー

日本にフルCG アニメは根付くのか?
識者に聞く、和製3DCG アニメーションの未来

【第13回/2013年5月号】
りんたろう(アニメーション監督)

日本におけるフル3DCG アニメーション制作への理解と振興を目指す本連載。今回の話し手は、アニメーション監督のりんたろう氏だ。アニメーション業界における同氏のキャリアは、日本アニメーション黎明期である1958 年にスタートした。以来『鉄腕アトム』(演出/ 1963 〜1966 年)、『宇宙海賊キャプテンハーロック』(チーフディレクター/ 1978 〜1979 年)、『銀河鉄道999』(監督/ 1979 年)などの制作に携わり、日本アニメの礎を築くことに貢献した。近年は『よなよなペンギン』(監督/ 2009 年)を制作するなど、3DCG アニメへの造詣も深めている同氏に、日本のCG アニメの可能性を語ってもらった。

【聞き手:野口光一(東映アニメーション)】
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僕は飽きっぽいから、同じことを繰り返したくない

東映アニメーション/野口光一(以下、野口):りんさんは日本アニメの黎明期に初のTV アニメシリーズである『鉄腕アトム』の制作に参加し、以後、様々な挑戦を続けてこられました。2009 年には、日本でCG アニメがあまり普及していない状況下にも関わらず『よなよなペンギン』を監督なさった。りんさんが連綿と続けてこられた新しいことへの挑戦、その総括を今日はお伺いしたいと思っています。それが、現在CG アニメをつくっている人たちの活力になるのではと期待しているのです。

りんたろう(以下、りん):僕はそれほどCG に詳しいわけではないですが、表現媒体としては非常に面白いと感じています。

野口:その時代、時代で、常に革新的な表現を追求されてきたりんさんが、『よなよなペンギン』で3DCG にチャレンジされたということは、CG という技術に新たな表現の可能性を発見したということでしょうか?

りん:僕は飽きっぽいから、同じことを繰り返したくないのです。『メトロポリス』を制作したとき、メカの表現に初めてCG を使ってみて、これはありだなと感じました。その頃、2D アニメに関する僕の役割はすべて終わったという思いがあって、次はCG だなと感じていましたね。正直にいうと、僕はアニメーションのためのアニメーションをつくる気は、さらさらないのです。アニメーションという素材を使って、映画をつくっているという思いでやってきましたね。

野口:もともと子供のころから映画志向だったそうですね。

りん:そう、映画監督になりたかったのです。だから東映動画に入社したのも東映の撮影所の方が目的でね、別に動画はどうでも良かった。先輩たちからすれば、僕は非常に不純な動機で入った新人でした(笑)。動画や原画を描くこと以上に演出をやりたくてね、何とか演出部に入れないかと聞いてみたのですが、東映本社には大学卒じゃないと入れなかった。こんな権威主義なところなのかと失望して、すべて仕事をほっぽり出して不良社員をやっていたら、手塚治虫さんに拾われたってところでしょうかね。

野口:それで東映動画から虫プロに移ったわけですね。

りん:僕以外にも、杉井ギサブローさんとかね、30 人くらいを寄せ集めて『鉄腕アトム』の制作をスタートしました。

野口:30 人で30 分のTV アニメが制作できるものなのですか?

りん:制作するしかなかった。当然、物凄く大変だったわけですよ(笑)。今のような制作体制も確立していないので、自分が描いた動画や原画を、自分で仕上げ担当まで運んでいました。つまり、制作進行も兼ねていたわけです。そうこうするうちに、進行を管理して次の部署に運ぶ専門の係が必要だなとわかって制作進行を置いた。そんな風に、TV アニメのノウハウも制作体制も、試行錯誤しながらつくりあげていきましたね。

野口:東映動画の体制はどうだったのですか?

りん:当時の東映動画は、2 年か3 年に1 本のペースでフルアニメの劇場用長編をつくっていましたからね。彼らの体制は参考程度にしかなりませんでした。1 週間に1本ペースのTV シリーズのつくり方なんて、誰もわからないわけですよ。何もかもが手探りでした。しかも30 人くらいで始めましたから、寝る暇もない状態で、皆が机の下に首を突っ込んで寝ていましたね。手塚さんもそうでした。

野口:アニメの原画を描きながら、漫画も描いていたという手塚さんの伝説を聞いたことがありますね。

りん:手塚さんは、昼間は漫画を描いてましたよ。少年サンデーや少年マガジンの編集長が原稿を取りにきてるから、描かないわけにはいかない。アニメを描けるのは夜になってからでしたね。僕らは昼間から待機してましたけど、特に第1 話とかの最初の頃は手塚さんが描かなければ始まらなかったわけです。とにかく手塚さんがキーアニメーターとなって、1 枚か2 枚の原画を描く。それをクリーンナップして、どう動かすかを考えるのが僕らの仕事でした。

野口:現在の日本のリミテッドアニメは、そのときの試行錯誤から始まったわけですね。

りん:今のTV アニメや劇場用長編の体制とはかけ離れた世界でしたね。でも、全ての原点はそこにあるのです。当時の僕らは、「これは貧乏アニメだ」といって笑い飛ばしてましたね。スケジュールが短い、予算が足りない、人がいない。だけど嘆いても始まらないから、そのなかで工夫するしかなかった。当時の虫プロのやり方を批判した人もいますけど、それでも、開拓者として路を切り開いた自負はありますよ。あの時代を経て、70 年代、80 年代にTV アニメの技術が確立され、今の華やかな日本アニメの世界へとつながってきたわけですから。

野口:おっしゃる通り、あの時代に、あの予算で、30 分のTV アニメをつくると決めて実践してのけた。そして視聴率が良かったからこそ、今のアニメへと続いているのだと思います。現在の日本の2D アニメと3D アニメの関係は、当時の劇場用長編とTV アニメの関係に似ているのではないでしょうか。日本では、今も3D アニメが流行っておらず、3D には魂がこもっていないという意見すらあります。

りん:新しいものが出るときは、似たようなことが起こるのだろうと思っていますよ。テレビが世に出始めた頃は、胡散臭いと思った人もたくさんいたわけですよ。でも、今や誰も異を唱えていないじゃないですか。

野口:りんさんのような2D アニメの先駆者が、そういう意見をもって、ちゃんと3D アニメに挑戦していることは凄いと思います。でも、日本ではまだまだ3D アニメが普及していない。かつての『鉄腕アトム』のようなヒット作がないことが原因なのでしょうか。

りん:大雑把にいえば、そういうことだと思います。言葉は悪いですが、日本の場合、既にある程度3D は食い散らかされているわけですよ。現在ジャパニメーションとよばれている技術は、70 年代、80 年代でほぼ確立したと思っています。そこから先は、その財産で食ってきた結果、今の閉塞感がある。さらにアニメはどんどん多様化されて、モバゲーやグリー、パチンコにも使われている。だから完璧に使い古されている一方で、これが日本の3D アニメだとよべる作品は出ていないですよね。

新しい可能性を追求して良いなら、題材はいっぱいある

りん:3D には相当の可能性があるなと思ってますよ。多分2D アニメの長編企画がきても僕はやらないと思いますが、3D なら、そこに可能性があればやってみたいですね。僕はいつも、新しいことがあればやってみたいっていう単純な動機で動いているのです。以前、大友克洋さんにも「いつも新しいことやってるじゃない」って指摘されました。やり終えてみると、孫悟空が菩薩の手の中で回っていただけだったと気付くのですけどね(苦笑)。

野口:大友さんをアニメの世界に引き込んだのは、りんさんですよね。寺田克也さんといい、毎回良い人を巻き込んで魅力的なキャラクターをつくっているなと感じます。

りん:毎回同じキャラクターでは飽きますからね(笑)。初めて大友さんに声をかけたのは『幻魔大戦』のときですね。東映でも東宝でも松竹でもない、角川書店という出版社が、アニメ界に打って出るという企画が良かった。やるからには、今までになかった映画にしようと思ってね、当時はまだマイナーだった大友さんを指名しました。新宿、吉祥寺、高円寺とか、具体的な街を出してね、吉祥寺はお互いが住んでいるからっていう勝手な理由だけで決めちゃった(笑)。キャラクターの着ているものも具体的にこだわって、靴だったらスニーカーなのか革靴なのか、セーターだったらニットなのか何なのか、ワイワイ相談しながら決めました。

野口:大友さんを指名したのも凄いですが、それ以前の『銀河鉄道999』の時代に、テーマソングでゴダイゴを選んだのも画期的でしたよね。そういうコラボレーションの上手さにも感嘆しています。

りん:原作をアニメ化するときには、大切なことが3 つあるのです。1 つ目はキャラクターの善し悪し。2 つ目は音楽が聞こえてくるかどうか。3 つ目は絵になるシーンがあるかどうか。この3つをキーワードにして自分の中でイメージを膨らませ、この人とこの人に依頼しようと決めていくのです。とはいえ、実際に『幻魔大戦』で大友さんにキャラクターを描いてもらったときには、彼の絵をアニメで描けるのかどうか、本当に不安で必死でしたよ(苦笑)。

野口:関わる人たちに、アニメの面白さを伝えているのでしょうね。

りん:大友さんは映画的なセンスをもっているので、会うべくして会って、今日にいたるまでの長い付き合いになっているのだろうと思います。僕には「映画的につくろう」っていう想念みたいなものがあってね、東映動画時代にアニメよりも実写をやりたいと思っていたことがトラウマになっているのです。『宇宙海賊キャプテンハーロック』や『銀河鉄道999』の頃には、モンタージュ理論なども含めて、映画的な手法でアニメーションに挑戦しようと意識し始めていましたね。

野口:実写映画から得たアイデアをアニメに取り入れるから、観る側は新しい表現だと感じるのでしょうね。この対談の前に『銀河鉄道999』を見返したのですが、映画の冒頭で遠くにあるなと思っていた999 が、画面に光が入った直後、カメラのすぐ近くに来てるじゃないですか。とても印象的な演出ですが、ああいう大胆なジャンプカットはなかなか思いつかないですよね。

りん:本来アニメには絵コンテがあるから、編集する必要はないのですが、僕は映画的な編集をやっている意識があります。フランソワ・トリュフォーというフランス出身の映画監督は、脚本を批評するのが演出で、演出を批評するのが編集である、そうしてできあがるのが映画だと語っています。僕自身は的確な言葉をもちませんが、そういう意識が僕の中にもあります。

野口:りんさんは凄く細密な絵コンテを描かれますよね。あれで、ほぼレイアウトも尺も決まるのではないですか?編集で手を加える部分は残っていないように思うのですが。

りん:いえいえ、ありますよ。絵コンテを描いた時点で流れはできていますが、あがってきたものの流れがあまりに計算通りだと、過去の自分に抵抗したくなるわけです。
その結果、実写の編集ほどではないにしろ、シーンとシーン、カットとカットを入れ替えるといったことをやりたくなってしまう。セリフがあるから、うまくいかない場合もありますけどね。単純に後ろのコマを切ったり、アクションをつなげるのは編集でもなんでもないですよね。そうではなく、カットを入れ替えた方が衝突が生まれるとか、そういったことに僕はこだわります。それからもう1 つ、音楽と映像の流れのバランスも大事にしています。その辺に編集の面白さがありますね。

野口:じゃあ、コンテ撮(アニマティクス)で1 回つなげてみて、最後にもう1 回編集をやるという流れですか?

りん:コンテ撮が普及したのは、つい最近のことでしょう。昔はやりませんでしたよ。僕も『よなよなペンギン』ではやりましたが、それ以外ではやってないですね。コンテ撮で確認しなくても、僕は絵コンテだけで充分わかります。自分の感覚を信用してますから。

野口:素晴らしい。僕としては、ぜひもう1 度日本でりんさんに映画をつくってほしいですね。フランスに行った際、りんさんのDVD が数多く並んでいてびっくりしたのですよ。本当にフランスで高く評価されているのだと実感しました。『よなよなペンギン』でやりきれていないことが、まだあるのではないでしょうか?

りん:それはまあ、確かにいわれるとおりです。『よなよなペンギン』は、絵本という世界観のなかで当時の技術で可能な表現に挑戦しましたが、今はもっと可能性が広がっている。もし僕が今からやるなら、ピクサーのような3D 表現ではなくて、リミテッドアニメや、ティム・バートン監督のストップアニメーションのような表現に挑戦するでしょう。そういう新しい可能性を追求して良いなら題材はいっぱいありますが、日本でつくれる保障はありますか?

野口:残念ながら、難しいですね。だからフランスで挑戦するのだといわれてしまうと、困ったなあと思います(苦笑)。現在、日本だけがリミテッドアニメで盛り上がっている状況で、国際化の波に遅れているのではという懸念を感じているのですが、その点は気にならないですか?

りん:全然気にしません。日本は2D アニメで勝負してきて、2D で世界を制覇しました。3D は遅れているのではなく、やってこなかっただけです。3D で勝負したければ、現場にお金をやって、つくらせれば良いのです。日本では国も制作会社もアニメや3Dの新しい方向性への挑戦には、なかなかお金を出さない。そこがフランスとの大きな違いです。あの国の制作会社や学校には情熱をもっている人が数多くいて、自分たちでソフトまでつくろうとしている。フランスでメビウスという漫画家と話したときに、なぜお前たちは日本の文化をもっとアニメに活かさないんだって怒られたことがあるのですよ。たとえば歌川広重の浮世絵をCG で再現して、面白いキャラクターをはめ込むとかね、可能性は無数にあるわけですよ。でも、情熱をもって挑戦する人が日本にいるのかどうか。

野口:大友さんが『火要鎮』で、それに近いことをやりましたよね。

りん:大友さんなんかとは、いつもそういう話をしています。芸術作品として評価されて、賞を取ったところで留まってしまう。フランスであれば広がっていくのに、日本では広がっていかない。じゃあ、広がっていかない理由は何なのかというと、答えがないのです。

現状を嘆くのではなく、智恵を絞って解決すべき

りん:従来通りのTV アニメや劇場用長編をしっかりつくって興行成績をあげるのは悪いことではないし、やらなければいけないことです。でも一方で、リスクを背負ってでも、従来の枠に捕らわれない開発もすべきだと思います。日本ならではの感性、感覚をもった3D アニメを定着させる必要があるでしょう。ただし、僕は長編である必要はないと考えています。長編だと一発で終わってしまう。もちろんTV シリーズをつくるには、それなりのボキャブラリーや方法論が必要ですが、定着をねらうなら時間をかけてじっくりとやっていく必要があります。

野口:かつて東映動画が3 年がかりで2D アニメの劇場用長編をつくり、その後虫プロがTV シリーズをつくったように、3D アニメもようやく長編からTV シリーズに挑戦できるようになりつつあります。でも3D アニメはお金がかかるので、TV シリーズの限られた予算内でつくるのは難しいですね。

りん:結局、そういう意見が出てきてしまうのですよね。でも、そうじゃないだろうと思います。TV シリーズ用の3D アニメをつくるには、どういう表現方法を選択して簡略化すれば良いか、そこまでアーティスト自身が考えて機械を使いこなすべきでしょう。

野口:まさに『鉄腕アトム』の時代、りんさんたちは限られた予算内でTV シリーズをつくることに挑戦したわけですからね。

りん:あの時代、手塚さん以外は誰もリミテッドアニメとは何なのか、わからなかったのですよ。描いた絵を横に引っ張れば良い、口だけパクパク動かせば良いといわれても、そんなやり方があるなんて思いもしなかった。長編をつくってきた人は、みんな寝耳に水でしたよ。TV シリーズで3D アニメをやるなら、そういう斬新な発想でもって開拓していくことが必須でしょう。今のマシンの高い性能をフルに使うのではなく、どれを選別してTV アニメに活用するのか、そういう考え方が求められると思います。

野口:最近のソフトは毎年のように新しい機能が追加され、どんどん便利になっていますから、意識して機能を選別する必要があるということでしょうか。

りん:僕らがやってきた2D アニメの道具は、鉛筆と消しゴムだけだったわけですよ。鉛筆もF、HB、B、2B くらいの選択肢しかなかった。でも最近のソフトには、無数の選択肢があります。だから極端なことをいうと、最近のアーティストにはイマジネーションを感じない人が多いですね。極論すれば、アニメ業界に限らず、日本人全体のイマジネーションが枯渇しつつあるのではと感じます。たとえば今の若い子たちは、料理のやり方を考える必要がないわけです。調べればレシピは直ぐに出てくるから、自分で考えなくても良い。

野口:今の30 代の演出家はりんさんたちのアニメを観て育った世代で、その記憶がデータベースに入っています。りんさんが映画の記憶をアニメで再構築したように、彼らもアニメの記憶を再構築して、新たなアニメをクリエイティブしているという考え方はできませんか?

りん:多少はわかりますが、そういう繰り返しをするにしても、絵コンテに落とし込む前に、1 度は自分のイマジネーションを加えないといけない。僕が『鉄腕アトム』をつくった時代には、アニメの演出論なんてどこにもなくて、手塚さんの原作漫画が唯一の手がかりでした。でも、漫画のコマを単純に引き写すだけで終わりたくはなかった。コマとコマの間にある描かれていない部分をどう自分が引っ張り出すか、そこにこだわっていましたね。だから中学生のときに観た、フランス映画やイタリア映画のフェードイン、フェードアウト、ディゾルブといった演出を強引に『鉄腕アトム』に入れ込んだのですよ。

野口:アーティストといえども、経済観念とイマジネーションをバランスよく両立させる必要があると。

りん:CG は高いとか、予算がないと嘆いてもしょうがないのです。アーティスト自身が智恵を絞って解決しなければいけません。そして演出家は、限られた枠のなかにはめ込んでつくる能力をもたなきゃいけない。その演出家をちゃんとコントロールできるプロデューサーも必要です。そうでなければ当然赤字になり、閉塞感が生まれてきてしまう。

野口:どんなに良いものをつくっても、赤字が出るようでは継続できませんからね。

りん:僕たちは芸術家ではないですからね。そこを勘違いしてはいけない。一方で、今も昔も、僕は好き勝手に実験的なことをやっています。未来に向けてというよりも、好きだからやっている。最近はスマートフォンで観ることを前提とした、3D を使ったお馬鹿な短編アニメをつくっています。

野口:凄い!本当に劇場用長編にこだわっていないのですね。

りん:YouTube があり、スマートフォンがある今の時代、劇場用長編とTV アニメだけではすまないでしょう。若者は電車に乗っている1、2 分の間に映像を観たり、ゲームで遊んでいるわけじゃないですか。僕はそういうところに可能性があると感じています。

野口:りんさんにそこまで語られてしまうと、返す言葉がありません(苦笑)。本来であれば、私たちの世代が考えなきゃいけないことです。最近は映画に対するリスペクトが下がってきていて、映画館に人が入らないですからね。子供たちは、TV もネットで観るようになっている。

りん:そういう多様化した時代だからこそ、低予算で、1、2 分の短編アニメをつくっているのです。新しいことに挑戦したいなら、あまりリスクを背負わない形で発信していくしかない時代だと思います。成功するかしないか、そんなことはわからない。でも、とにかくつくって発信することが大切です。1 回出して反応が悪ければ、そこから変えれば良いわけですよ。

野口:手堅く商売しようとするれば保守的な作品にならざるを得ませんが、リスクを背負わなければ挑戦は可能だと。

りん:最終的には商売にしたいですが、あまりに決まりきったパターンの商売はしたくないのです。短編アニメが何本かできたらクリップとしてまとめて、アヌシーに送り込んでみたいと思っています。アヌシーにはクリップ部門がありますから。

野口:本当に、今も昔も「同じことをやりたくない」という思いが原動力になっているのですね。その姿勢を、私たちの世代も見習わなければいけないと感じました。本日は、有難うございました。

りんたろう:Rintaro
1941 年生まれ。東京都出身。1958 年、東映動画へ入社。1960 年の手塚治虫による虫プロ設立に合わせて移籍。TV アニメ『鉄腕アトム』(1963 〜1966 年)で演出家デビューを果たし、『ジャングル大帝』(チーフディレクター/ 1965 〜1966 年)など数多くのTV アニメの制作に携わる。1972 年に虫プロを退社。フリーの演出家となり、『アローエンブレム グランプリの鷹』(チーフディレクター/ 1977 〜1978 年)『宇宙海賊キャプテンハーロック』(チーフディレクター/ 1978 〜1979 年)などの制作に参加。1979 年には劇場用長編『銀河鉄道999』(1979 年)で監督を務め、『幻魔大戦』(監督/ 1983 年)からは拠点をマッドハウスに移す。その後も『カムイの剣』(1985 年)、『メトロポリス』(2001 年)、『よなよなペンギン』(2009 年)など、数多くの劇場用長編の監督を歴任している。
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INTERVIEWER : 野口光一(東映アニメーション)
EDIT : 尾形美幸(EduCat)、沼倉有人(CGWORLD)http://cgworld.jp
PHOTO : 弘田 充
LOCATION : メデオ&ダイン吉祥寺 http://www.medewoanddine.jp/

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