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INTERVIEW インタビュー

3DCGの夜明け
日本のフルCGアニメの未来を探る〜

【第17回/2014年1月号】
杉山知之(デジタルハリウッド大学・大学院 学長/工学博士)

日本におけるフル3DCGアニメーション制作への理解と振興を目指す本連載。今回はデジタルハリウッド大学・大学院 学長の杉山知之氏に話を伺った。同校の前身である株式会社立の専門スクール「デジタルハリウッド」を杉山氏が起ち上げた1994年当時、3DCGの作り手を育成する教育機関は世界的にも珍しい存在だった。それから現在にいたるまで、同大学・大学院・スクールは日本の3DCG教育を牽引し続け、数多くの卒業生を輩出してきた。今日もCG教育に情熱を注ぐ杉山氏に、その教育哲学や、デジタルコミュニケーションの将来像について語ってもらった。

【聞き手:野口光一(東映アニメーション)】
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何としても、3DCGの夜明け前に起ち上げたかった

東映アニメーション/野口光一(以下、野口):デジタルハリウッドが設立された1994年10月は、『ジュラシック・パーク』(1993)と『トイ・ストーリー』(1995)公開の間、セガサターン(1994年11月発売)やPlayStation(1994年12月発売)が登場する直前でした。本格的に3DCGが世の中に進出し始めた非常に夢のある時代だったものの、多くの組織は手探り状態で、優秀な新人がほしければデジタルハリウッドから採用するしかなかった(笑)。まずは当時をふり返りながら、お話を伺えればと思います。

杉山知之(以下、杉山):ふり返ってみると、20年前に思い描いていた未来が概ね実現したなと感じます。21世紀になれば、ほとんどの表現にパソコンが使われているだろうという漠然とした確信がありました。『ジュラシック・パーク』を見て、「ここまでリアルなCGを表現できるようになったのか」と驚いたことを覚えています。ゲームセンターでは『バーチャファイター』、『リッジレーサー』(両作とも1993年リリース)が流行っていました。僕は大学でバーチャル・リアリティやリアルタイムCGを研究しており、インターネットの普及も予想できた。近い将来、これらの技術が家庭にまで浸透するという確信がありました。

野口:3DCGだけでなく、インターネットの黎明期でもありましたね。Internet Explorerが登場したのも同じ頃だったでしょうか。

杉山:それは1995年ですね。当時使っていたWebブラウザはNCSA Mosaicで、ワークステーションで動かしていました。でも「早々にパソコンでネットサーフィンができるようになる」という直感がありました。3DCGにしろインターネットにしろ、1994年末というのは、ギリギリ夜明け前の時代だったのです。夜明けが見えてからでは遅い、何としても夜明け前に起ち上げたいと思い、1994年の10月に無理矢理スタートしたのです(笑)。

野口:10月にデジタルハリウッド株式会社を設立し、いつから開校したのですか?

杉山:設立の当日からです。それ以前の夏頃から、学生募集は始めていましたね。『ケイコとマナブ』という習い事の情報誌に3DCGで作ったティランノサウルスを掲載したり、2台のプロジェクターを使った3DCGの立体視を大学で上映したりと、当時としてはインパクトのある宣伝をしていました。最初はPhotoshopやIllustratorから教え始めて、徐々に3DCGの機材も充実させていったのです。日本IBM、内田洋行、日立製作所がスポンサーになってくれました。12月にはタイトーも出資してくれて、それまでドット絵を描いていた社内の人たちに3DCGを教えることになったのです。

野口:当時だと、ハードウェアはIndyでしょうか?

杉山:そうです。定価だと1台400万円くらいしましたが、日本シリコングラフィックスがディスカウントしてくれました(笑)。ソフトウェアはPRISMSで、これも高かったですね。30人分の環境を整えて、タイトーの人たちを相手に2ヶ月くらいの短期集中で教えたのが最初の3DCG教育でした。3DCGを作った経験はあっても、教えた経験まである人なんていなかったので、教える側もおっかなびっくりでしたね。本格的な1年間のコースがスタートしたのは、1995年の4月からでした。

野口:当時と比較すると、今はハードもソフトも安くなりましたよね。かつての学生と、デジタル・ネイティブ世代と呼ばれる今の学生とでは何が違いますか?

杉山:20年前の学生たちの間には「まったく新しいものを勉強する」というワクワク感が充満していました。でも今の学生たちにとって、3DCGやインターネットは「よくあるもの」なのですよ。アナログとデジタルの違いを意識せずに生きてきた世代ですからね。恐ろしいことに今年度の新入生は1995年生まれです。Windows 95が発売された年ですよ(笑)。

野口:生まれた時からGUIのパソコンが当たり前にある世代というわけですね。

杉山:ところが今の学生にとっても、3DCGを作るのは容易なことではないのです。当たり前にあるものだから、ちょっと勉強すればできそうに見える。でも実際に手を動かしてみると、とんでもなく奥深くて大変だということに気付くのです。蓋を開けてみれば、知らない用語やよくわからない技術が大量にある。面白いと思う人にとっては、たまらなく魅力的のようですね。

野口:ソフトの機能は年々増えている一方で、最近はソフトの操作を一通り覚えてから来てほしいと望む会社が多い。3DCGの修得が大変なのは今も昔も変わりないでしょうね。

杉山:3DCGをやりたがる学生は多いですが、最初の半年で半数くらいは方向転換します。4年間やり通すのは「絶対に止めるものか」という覚悟のある学生だけですね。それ以外の学生は、Web系、IT系、2DCG系などに転向していきます。

野口:最近は各学校の学生のレベルが揃ってきた印象がありますが、90年代後半のデジタルハリウッドの学生は突出して優秀で、SIGGRAPHでも頻繁に入選していましたよね。今でも印象に残っています。

杉山:当時の学生は僕らが優秀にしたのではなく、元から優秀だったのです。今も昔も、本気で3DCGをやりたがる人の数に変化はないと感じています。当時は勉強できる学校がほとんどなかったので、30歳以下の予備軍のほとんどが当校に集まってきました。一度は別の業界で働いてから転向してきた人も多かったのです。彼らは経験豊富で頭も良かったので、SIGGRAPHで受賞するための方法を的確に分析していましたよ。自分の苦手な部分は見せずに得意な表現で勝負する、短い尺でホロッと泣かせるストーリーにする、一発芸のお笑いにするなどね。

野口:今は学校の数が増えたので、優秀な学生が各校に分散しているのでしょうか。

杉山:そうだと思います。加えて世界に目を向けても、当時は3DCGを教えるスクールが珍しかったのです。今は北米にも欧州にも数多くのスクールや大学、大学院があります。大学・大学院を合わせて6年くらい3DCGを勉強して、チームを編成して、研究室の先生まで加わって、よってたかって磨き上げた作品で勝負をかける学校が増えてきました。

野口:エンディングのクレジットが異様に長くて、「これは学生作品なのか?」と目を疑いますよね(笑)。

杉山:一方で就職先の会社に作品を見せる場合には、共同制作だと都合が悪い場合が多いのです。「君は何をやったの?チームメンバーに手伝ってもらったんじゃないの?」と疑われてしまう。だから当校の学生は1人で1作品を作る傾向にあるのです。でも1人だとできる内容が限られてしまうので、集団制作が基本の海外の学生作品と勝負するのは厳しいなと感じています。

各社・各国に散らばる卒業生が母校の発展を支えてくれる

野口:デジタルハリウッドは90年代から海外での開校にも取り組んでこられた。そういった攻めの姿勢も印象に残っています。

杉山:いずれは世界中の人たちと一緒に仕事をするようになるだろうという思いが僕のなかにはありました。加えて開校当初から「ハリウッドで3DCGやVFXの仕事に携わるのが夢です」と語る学生がかなりの割合でいたのです。「だったらやるか!」と奮起して、1997年にアメリカ西海岸のサンタモニカにdhima(デジタルハリウッド USA校)を開校したのです。午前中は英会話を学び、午後はずっと3DCG漬けというカリキュラムでした。あそこを経てハリウッドで仕事を始めた卒業生は多いですよ。それに夜は地元のアメリカ人たちにも3DCGを教えていました。当時は他の仕事をしながら3DCGを学べるスクールというのがアメリカにもなかったですからね。ただ、その後どんどん地元のスクールが充実し、911の影響で日本からの留学生は激減したので、アメリカからは撤退することにしました。

野口:一方で2013年にはタイのバンコクで新たなスクールを開校なさった。変わらぬ攻めの姿勢は凄いなと感じます。

杉山:シンガポールにはアメリカのCGプロダクションが数多く進出していますが、アジア全域で見ると、若い人たちの目が必ずしもハリウッドを向いているわけではないのです。日本のアニメ、ゲーム、可愛いキャラクターなどのファンが非常に多い。だから我々のような日本からの進出は歓迎されます。タイはまだまだ発展途上で各家庭にパソコンが入るような文化は醸成されていませんが、スマートフォンの爆発的な普及によってコンテンツ産業が一気に盛り上がる可能性がでてきました。でも3DCGの教育体制はまだまだ不充分です。我々の教育ノウハウを使って、タイの人たちがタイの文化を反映させたコンテンツを作るための支援をしたいと考えています。

野口:日本からタイに進出するCGプロダクションも出てきていますよね。

杉山:タイの当校のすぐ隣にスタジオを設けた会社もありますよ。進出している会社に卒業生が所属している場合もあり、彼らの存在は心強いです。さらにここ数年は海外から我々の大学・大学院にやって来る留学生も増えています。今回のタイ進出でも、かつて当校で学んで今はタイに帰って仕事をしている留学生たちが色々と教えてくれました。各国に進出しやすい下地が整ってきたなと感じます。

野口:「デジタルハリウッド愛」ですね(笑)。長年にわたって優秀な卒業生を輩出してきたお陰で、上層部のほとんどがデジタルハリウッド出身者というCGプロダクションも珍しくないでしょう。

杉山:有り難いことです。卒業してから10年前後が経過してもなお、母校に愛着をもってくれている人が多い。お陰で講師の確保にはまったく困らないですね。各方面に卒業生がいて我々としても頼みやすいし、「教えたい」と向こうから申し出てくれる場合も多いです。

野口:デジタルやコンテンツつながりで、漫画、音楽、声優などに教育の領域を広げるおつもりはないですか?

杉山:最近はあらゆる表現がデジタル化されてはいますが、それらの分野の学校は既に充実しています。今更我々が進出してもやることがありません。加えて就職先の数で考えると、どれも3DCGやITと比較すると少なすぎて、卒業後の面倒を見てあげられないだろうと思うのです。

野口:確かに漫画家や声優を志望する人は多いですが、本当になれるのは極少数ですね。それに比べれば3DCGアーティストやプログラマの雇用先は多い。

杉山:むしろニーズは増えているので、まったく心配していないです。3DCGの場合は需要が二極化しつつあり、オールラウンドに対応できるゼネラリストと、特定の分野に深く精通しているスペシャリストの両方が求められています。スペシャリストを目指す場合は大学院まで進学する人が多いですね。例えばエフェクトに力を入れている研究室があるのですが、卒業生はエフェクトのスペシャリストとして採用されていきます。

野口:サンジゲンや神風動画など、企業とコラボレーションしたカリキュラムも提供していましたよね。

杉山:それは大学ではなくスクールでの試みですね。3DCGの基礎は当校の講師が教え、応用や各企業に特化したノウハウは各企業の人たちに直接教えてもらいました。例えばサンジゲンの場合は『009 RE:CYBORG』(2012)用に作られたセットアップ済みのキャラクターモデルを使って、サンジゲン流のアニメーションを学ぶというカリキュラムでした。

野口:アニメーター教育に特化したカリキュラムというわけですね。この連載のなかでも、慢性的にアニメーターが不足しているという話はよく出てきます。

杉山:20年近く3DCG制作を志す人たちを見てきましたが、アニメーションの才能がある人を見抜くのは凄く難しいですね。芸術・美術大学の出身者が上手いかといえば、そんなことはない。モデリングやテクスチャが上手い人は多いのですが、良いアニメーションを付けるにはまったく違う才能が必要なのです。普通のOLや営業マンをやってきたのに、アニメーションだけは抜群に上手いという人がたまに出てくる。他には日体大の出身者、ダンス日本一になった人など、自分で身体を動かせる人にも得意な人が多い。蓋を開けてみないと、誰が才能をもっているか見破れないところがアニメーション教育の難しさですね。

野口:日本の芸術・美術大学で本格的なアニメーションを教えているところは少ないですからね。一方で、最近はアニメーションスキルのアピールに特化したデモリールを作る学生も増えてきましたね。モデルは凄くシンプルだけど、動きで喜怒哀楽や重心の移動をしっかり表現している。教育機関でも、最近の制作体制をよく研究しているなと感じます。

杉山:20年前なら考えられないですよね。かつては一通りできる人がほしいという要望ばかりでした。やっと日本でも分業体制が根付いてきたのだなと感じます。

3DCGと現実世界がつながり面白い表現が生まれる

野口:杉山先生は20年近く前から著書などで「デジタルで串刺しにする」という表現を一貫して使われていますね。良い言葉だなと思います。デジタルによる表現の可能性やゴールを、今の時点ではどう見据えておられますか?

杉山:当大学を設立するに当たって、学部の名称を「デジタルコミュニケーション学部」としました。人間が生きるためにはコミュニケーションが必須ですが、今後はほとんどのコミュニケーションにデジタルが介在するだろうと思ったのです。しかもコミュニケーションの方法は言葉だけに限定されなくなっています。絵を使う人もいれば、映像や音楽を使う人もいる。人と物、物と物がコミュニケーションをして人間社会を支えているといった話もよく聞きます。今後の社会では、これらのコミュニケーションに必要な能力を身に付けた人、デジタルで物を作れる人、言いたいことを言える人がさらに必要になると考えています。

野口:映画にしろ音楽にしろ、作れるようになるまでには訓練が必要ですからね。そのための教育機関として、デジタルハリウッドが果たすべき役割は数多くあると?

杉山:そうです。そして表現する能力が必要な分野が、今後は益々拡大していきます。科学や歴史などの教育コンテンツも全部映像化した方がわかりやすい。医療情報だって可視化した方が理解が深まる。3DCGの応用分野はもの凄い勢いで広がりつつあり、当校の卒業生たちが活躍できるフィールドはいくらでもあると思っています。

野口:ここ最近だと、3Dプリンターの盛り上がりが凄いですよね。

杉山:これまではバーチャル世界の存在だった3DCGのデータが手に取れるようになったのは凄いことです。楽しい時代になったと思います。ただし3Dプリンターで出力するためには、元となるデータを作る必要があるわけです。だから我々のスクールではグリフォンエンタープライズというフィギュアメーカーと協力して、デジタル原型師の育成コースを始めました。もう1つ、リアルタイムCGの技術革新も目を見はるものがあると感じています。私の研究室には初音ミクの舞台演出を手がけているスタッフがいますが、あれは僕にとってもエポック・メイキングでした。画面の向こう側の存在だったバーチャルアイドルが、ライブ会場にやって来て、オーケストラの音に合わせてリアルタイムに歌ってくれる。なかなかの事件だと思いましたよ。

野口:会場の観客は完全に感情移入して声援を送っていますからね。伊達杏子(1996年に登場した世界初の3DCGによるバーチャルアイドル)の時代には想像できなかった現象です。

杉山:懐かしい!伊達杏子の制作にも関わっていましたよ(笑)。今と比較すると、当時はコンピュータのパワーが圧倒的に不足していました。ホリプロさんは普通のアイドルとして彼女を扱おうとしていて「来週は衣装を変えられないですか?」などとおっしゃるわけです。でも衣装1つ変えるのだって当時はもの凄く大変でした。

野口:今ならリアルタイムに変更できますからね(笑)。

杉山:「デジタルで串刺し」という話の流れで言うと、Perfume(パフューム)のパフォーマンスは「先にやられたなぁ」と思いましたよ。デジタルが媒介となってアイドルと色々な才能がコラボレーションし、世界へと展開している。3DCGと現実世界が有機的につながることで、面白いものが生まれる余地はまだまだあると期待しています。今はエンターテインメント産業の成功事例が目立っていますが、ここで培われた「わかりやすい表現」や「人を喜ばせる表現」のノウハウは全ての産業で必要とされています。このノウハウを吹きかけることで、各産業の技術が価値あるものへと進化するでしょう。

野口:僕としては、日本のコンテンツや技術どうしを串刺しにして、世界に攻勢をかけてほしいですね。

杉山:当校は「デジタル“ハリウッド”」を名乗ってはいますが、基本的には日本の文化を背負っていると思っています。特に日本のアニメとファッションは、世界中の若い人たちに愛されています。日本のアニメはたとえ海外の物語りを扱っても、日本人にしか作れない世界観に仕上げてしまう。そんな風に日本人でなければ行き着かない表現で勝負をかけてほしいと思います。そういう点では、僕は『キャプテンハーロック』(2013)は好きなんですよ。ハリウッドからは出てこない色合い、スタイルを実現した点で素晴らしいと思います。ぜひ腰を据えて、ある程度の時間をかけて、日本ならではの良質な作品を作り続けてほしいと願っています。

野口:そうですね。1クール、3ヶ月の放送で消費されていくTVアニメが数多くある現状は、もったいないと思います。

杉山:20年近く3DCGの教育に携わってきて、やっぱり変わらずに僕のなかには「3DCG愛」があるのです。本当に3DCGが好きで、それしかやりたくない、そう思って人生をかけている人にこそ作り続けてほしい、応援したいという気持ちがあります。それに人が自分の力で育っていく姿を見ることには凄く喜びを感じます。3DCGは教えることが多く、完成させるまでに時間がかかります。教える側にも教わる側にも根気が必要ですが、それでも続けてくれる講師、付いてきてくれる学生がいるということは、この世界には多くの魅力があるのだと思いますよ。でもね、この世界が本当に変わるのはむしろこれからだと僕は思っています。

野口:過去20年間に起こった変化を凌駕するような変化が起こると?

杉山:少し前にメディアの王様であるTVがデジタル化されましたよね。映画、ゲーム、音楽、漫画など、他のあらゆる産業もデジタル化されて、ようやくアナログからデジタルへの置き換えが完了しつつあるのが今の時代なのです。これまではバラバラの競技場で試合をしてきた人たちが、共通のトラックに集い、同じマラソン競技のスタートラインに立って走り始めたわけです。「この競技場で今後どんな試合を展開していくのか、貴方たちにはそれを考えてほしい」と、最近の僕の授業ではそんな教え方をしています。

野口:長年にわたって日本の3DCG業界に人材を輩出してきたデジタルハリウッドらしいビジョンですね。今後の活躍にも期待しています。

Tomoyuki Sugiyama
1954年東京都生まれ。1987年よりMITメディア・ラボ客員研究員として3年間活動。1990年国際メディア研究財団・主任研究員、1993年日本大学短期大学部専任講師を経て、1994年10月デジタルハリウッド設立。2004年日本初の株式会社立「デジタルハリウッド大学院」を開学。翌年、「デジタルハリウッド大学」を開学し、現在は同大学・大学院・スクールの学長を務めている。マルチメディア放送ビジネスフォーラム代表、福岡コンテンツ産業拠点推進会議会長、メタバース協会会長、内閣官房知的財産戦略本部コンテンツ強化専門調査会委員を務め、また「新日本様式」協議会、CG-ARTS協会、デジタルコンテンツ協会など多くの委員を歴任。1999年度デジタルメディア協会AMDアワード・功労賞受賞。
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INTERVIEWER : 野口光一(東映アニメーション)
COOPERATION : 沼倉有人(CGWORLD)http://cgworld.jp
EDIT : 尾形美幸(EduCat)
PHOTO : 弘田 充
LOCATION : デジタルハリウッド大学
JOINT OPERATION : AREA JAPAN http://area.autodesk.jp/column/trend_tech/daybreak_3dcg/

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